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連載 : Kettleのお仕事

2023/04/13

障害者のためのお直しサービス「キヤスク」はどうしてできた?  前田くんと日野くん同級生対談 

ケトルキッチン編集部

多様性を認める社会。
包摂する社会。
誰も取り残されない社会。

女性も、性的マイノリティも、なにもかも。肌の色、生まれた国や地域、信仰する宗教に関わらず、誰もが輝ける社会を実現していくことが、今に生きる私たちの大きなテーマになっている。

しかし、そのときに見逃されがちなのが障害者のこと。もちろん一昔前に比べると公共建築のバリアフリーは格段に進んでいるし、障害者も社会に暮らす同じ仲間として、あらゆる障害を取り除いていこう、包摂する社会であろうという機運が年々高まっている。  

 

 

しかし、彼ら彼女らの困りごとに本当に向き合えている人はどれほどいるだろうか。「障害者だから仕方ないよね」と当事者やその家族がさまざまなことを諦めていることに、我々は気づけているだろうか?

たとえば着る服のこと。

いま障害者の多くは、身体の動かしにくさゆえに、着心地やデザインではなく「着やすさ」で服を選ばざるを得ないのが現状だ。"健常者"がおしゃれを当たり前のように楽しんでいる一方で、障害者は「仕方ない」を受け入れている。

こうした「仕方なさ」そのものに課題を感じ、その問題を根本から解決すべく、2022年3月にスタートしたのが洋服のお直しサービス『キヤスク』だ。障害者一人ひとりが抱える身体の不自由に合わせて、One to Oneで既製服のお直しをしてくれる日本初のサービスである。2022年のグッドデザイン賞 ベスト100や、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSのデザイン部門でグランプリにも輝き、アジア太平洋最大級のクリエイティブアワード ADFESTでも金賞を受賞した。

 

 

サービスはすべてオンラインで完結。車椅子や寝たきりのユーザーが一歩も外に出ることなく、本当に着たいと感じた服を着やすくカスタマイズ出来る。またユーザーとの打ち合わせや実際のお直し作業を行うのは「キヤスト」と呼ばれる、服を着やすくする知識とお直し経験に長けたキヤストのみなさん。多くは障害を持つ当事者の家族であり、細やかな配慮もできる。

メニューには「Tシャツの前開き」(税込1650円)、「ボタンのマジックテープへの変更」(同1980円)、「パンツの褥瘡(じょくそう)対策」(同4400円)などを揃える。なお町のお直し屋さんのパンツの裾上げ料金が1000〜2000円前後。複雑かつパーソナライズされたオーダーにも対応することを考えれば、かなり良心的な価格設定といえる。

 

 

このサービスを立ち上げたのは、大手アパレルメーカーで障害者向けの服を手がけた経験を持つ株式会社コワードローブの前田哲平さん。

今回はそんな前田さんの高校時代の同級生であり、「キヤスク」を企画段階からアシストした博報堂ケトルの日野昌暢と対談で、これまでの道のりを振り返ってもらった。

 

お互いを「前田くん」「日野くん」と呼び合う仲。左が前田くんこと前田哲平さん。右はケトル日野昌暢

 

 

地方銀行から"あらゆる人のための服を作る"アパレル企業へ

――おふたりは高校の同級生だということで。約30年前に高校を卒業して、それで今こうして仕事を一緒にすることになったというのも感慨深いものがあるのかなと思います。当時のお互いの印象はどうでした?

日野昌暢(以下、日野):前田くんとは1年の時に同じクラスになって、入学直後の教室の席も前後だったんですよ。当時の前田くんは坊主頭で、ちょっと怖いイメージだったかな。そんないかつい奴が、学級委員に進んで手を挙げていたのが印象的で。

前田哲平(以下、前田):僕が通っていた中学は当時、男子生徒は全員坊主だったからね。日野くんは校則がゆるい中学の出身だったから、髪を伸ばしてたし、なんならセットしてたよね。入学当初からクラスの皆に話しかけていて「こいつ都会的やな」って思ってた。

 

「日野くんは昔から明るいやつでした」

 

日野:今も昔も前田くんは真面目な人だけど、僕らみたいな出来の悪い生徒とも一緒に遊んでたんですよ。試験休みに入るとみんなで集まって、カラオケに行ったり、飯を食いに行ったりね。

前田:懐かしいね(笑)。

日野:でも前田くんって、どんなに盛り上がっていても決めてた時間が来たら帰るんですよ。家でちゃんと勉強してるの。だから成績は常に上位一割。毎回ちゃんと最後まで遊んでいた僕はと言うと下の一割(笑)。前田くんは成績優秀のまま上京して東京の大学に、僕は地元・福岡の大学に進むことになる。

前田:ところが上京してみたら、全く東京に馴染めなかった。日に日に「福岡に帰りたい」という気持ちが募って、大学4年になってほとんど勢いで福岡の銀行に就職を決めました。

日野:高校も福岡じゃ有名なところで、大学も一流、そしてUターン就職先も手堅い地銀。もう絵に描いたようにまっとうな道だったのに、結構すぐに銀行を辞めることになるんだよね。最初に辞めようと思うって聞かされたときは、思わず止めたけど。

 

「福岡で●銀で働くって、かなりのこと。そんな"安定"から抜け出すってすごい勇気よ、前田くん」

 

前田:今の仕事を続ければ、安定した将来が約束されてるんだろうけど、本当にこれで良かったのだろうかってね。自分のやるべきこと、自分の可能性を深く考えずに就職したことを後悔したなぁ。まぁ、若かったよね。その後、色々考えて、2000年の8月に某アパレル企業に転職することにしたんです。

日野:誰もが知るあのアパレル企業です。でも当時は今ほどの会社になっていない時期だったので、「なんで●●●●に?」って思ったけどね。

 

――地銀からアパレル企業への転職はたしかに思い切った決断ですよね。選んだ理由はなんですか?

前田:たまたま会社案内を読んでみたら「世界一の会社になる」「あらゆる人のための服を作る」みたいなことが書いてあったですよ。すごく共感して「この会社で働きたい」って思って。そもそもビジョンやミッションを明確に提示してたのが良かった。銀行で働いてる時は「なんのために仕事をしているんだろう」って思うことが多かったから。

日野:なるほどね。そういえば最初は現場を知るために武蔵村山のお店で店長をやってたよね。僕も博報堂に就職して東京に出てきていたから、電車に乗って様子を見に行ったのを覚えてる。

 

「日野くん、そういえば武蔵村山まで来てくれたね…」

 

前田:店長は半年やって、系列会社に出向したあと、本社に戻って、企画生産から販売まで全てをやる部署で10年働いた。そこから経営計画の部署で3年働いて、そのあとはインターネット通販の部署で在庫管理の責任者をやっていた。トータルで20年間働いたことになるかな。

 

障害を抱える人には届いていなかった"あらゆる人のための服"

「ちょっと近くない?」「うん、近いよね」

 

――某アパレル企業を退職する前、つまり在籍時に障害者のための服づくりをするようになったとも聞いています。そのあたりのお話もお聞かせください。

日野:それがすごいのよ。前田くん、●●●●の社員時代に、総勢約800名もの障害のある方々に、服を着るときにどんな悩みがあるのか、なにがストレスなのかをヒアリングをしてるんですよ。しかも一人で。

 

――たった一人で800人もの方にヒアリングですか! それはすごい…。きっかけはなんだったんです?

前田:2018年頃だったかな。聴覚障害がある同僚から「周りにいる身体を動かしにくい障害者は着る服がなくて困ってる」って話を聞いたんですよ。なんかそれが本当にショックで。だってそれまで会社が掲げていた「あらゆる人のための服を作る」ってコンセプトに共感して、一生懸命働いてきたわけだから。なんだ、自分は「あらゆる人」のために仕事をできてなかったんじゃないかって。

日野:自分たちが作った服が届いてない人がいることにショックを受けたと。そこがすごく前田くんっぽい。

 

「えっ、そう?」

 

前田:障害を持っている方々の“衣”について、しっかり考えたことがないことに気付かされたんです。「これじゃいけない」と思って、すぐに障害者支援団体にアポを取って、電話で服にまつわる困りごとのヒアリングを始めました

そこから聴覚障害がある同僚にも身体に障害を抱えている友人を紹介してもらって、直接話を聞き始めて。当時働いていた会社の店舗まで一緒に行って、着やすい服や理由を教えてもらったりもしましたね。

日野:800人に話を聞くには相当な労力と熱量が必要だったと思う。何が原動力になってたの?

 

「俺としては、前田くんの熱源を知りたいわけよ」

 

前田:やっぱり多くの人が本当に困ってたからね。多くの人が障害あるってだけで、自分の好みの服を諦めて、着やすさで服を選んでいた。それって服を着ることで得られる豊かさを奪われているってことじゃない。

着やすいだけの服だって中々無くて、見つけたとしても高額だったりする。当時は障害者のためのブランドを始めるアパレル企業もチラホラ出始めてたけど、結局続かない。

 

――なんで続かないんです?

前田:シンプルに言うと本気で問題を解決しようとしていないから。ブランドのイメージアップのために、ショップ内に"そういう棚"を設けるくらいでしかやらない。そもそも続ける気はないんです。そんな状況を見ているうちに、怒りにも似た感情が湧いてきちゃったというか。何か自分に出来ることはないかって思いながら、当事者たちにヒアリングを続けていました。

 

「前田くん、顔硬いよ」「いや、日野くんもね」

 

日野:すごい成功体験。そのまま会社に残って、障害者向けの服を作り続けようとは思わなかった?

前田:むしろ会社を辞める最後の決め手になったかな。なぜかというとプロジェクトを通じて「障害は十人十色、着やすさは人それぞれ、服の好みも人それぞれ」だって再確認したから。このまま会社で着やすい既製服を作り続けたところで、おそらく障害を抱える人たち全てのニーズに答えるのは難しいってことに気付いたというか。

 

――なるほど…。もう少し噛み砕いて説明してもらってもいいですか。

前田:服の好みは人それぞれだから、どんなにたくさんの"着やすい"服を作ったとしても、デザイン含めて気に入ってもらえるとは限らないじゃないですか。要は「着やすいけどデザインは気に入っていない」という課題はいつまでも解決できない。

そんなことを考えているうちに、抜本的に障害者の"衣"の選択肢を一般の人と全く同じ状態にしたいと思うようになった。そうなると大きな会社の中で与えられた役割を持ちながら片手間でやるんじゃなくて、その世界の実現のために本気で集中して取り組まないと実現出来ない。自分で絶対に実現したいと思った。だから退職することにしたんです。

 

 

当事者家族との出会いで生まれた「お直し」という最適解

「前田くんはガチ勢なのよ」

 

日野:会社を辞める少し前に前田くんは、僕に声をかけてくれたんですよ。「抜本的に障害者の"衣"の選択肢を増やすビジネスをやりたい」と。あのとき考えていたのは、障害者のための課金型メディアをやることだった。

話を聞いて、前田くんが本気で取り組もうとしていることは伝わってきた。ただ長年メディアに携わってきた僕からすると、上手くいくと思えなかったんだよね。メディアを継続させるためにマネタイズするのはとっても難しい。たとえ良い情報を発信していても、お金が入ってこないことには続けられないから。

その一方で「障害者の"衣"の選択肢を増やしたい」って目的は、間違いなく尊いと感じた。障害のある方々へのヒアリングで得た情報にも確かな価値がある。だって誰も持ってないデータだからさ。課金型メディアだと厳しいけど、何か別のやり方なら目的を達成出来るんじゃないかと思ったんですよ。

 

「前田くん、メディアは儲からないのよ」(←笑っているのに物悲しい絶妙な顔をする日野)

 

――メディアは難しいけど、別の方法なら可能性があるんじゃないか。そこからプロデューサー日野のハートに火がつくことになると。どうやってプロジェクトを進めることにしたんです?

日野:これが現実的に言うとなかなか難しいわけです。前田くんもつい最近までサラリーマンで、起業したばかり。豊富な資金があるわけでもないから、事業規模的にも会社の正式な仕事にはできない

 

 

「日野くん、そういう事情もあったのね」

 

――「博報堂ケトルの日野」としてはなかなか手を出しづらい案件だと。

日野:でも絶対になにかやりたい。これ事業化するときに、絶対アートディレクションは必要になるだろうと思ってたから、誰かいないかなぁと社内を見回すとタイミングよくアートディレクターの志村(洸賀)と元々アパレルメーカーでデザイナーをやっていたstoveの冨来(大二朗)が新しいユニットを組んで、「なんでもやります」スタンスで周囲にアピールしてたんですよ。

 

――たしかに。ケトル社内の定例会で、他のケトラーに売り込んでましたね。

日野:渡りに船と言うか、めちゃくちゃピースがハマるなと思って。彼らに声をかけてケトル内に、"非公式"にキヤスクをバックアップするチームをつくっちゃったんですよ。

 

――非公式に(笑)。

前田:それで2021年の正月くらいから、着やすいTシャツを作るプランとかも含めて、日野くんたちと色んなアイデア出しをしたよね。でも「これだと救えない人たちがいる」「だったら意味がない」となってしまう。

その間も僕は障害者の方へのヒアリングを続けていたんだけど、その中で偶然「お直し」というアイデアが生まれたんですよ。

 

――ヒアリングの中で生まれたんですか。

前田:きっかけはある女性でした。その方にはオシャレが大好きな娘さんがいるのですが、事故で寝たきりになって、前開きの服しか着られなくなってしまった。ところが前開きの既製服には着たい服がない。

最初は気に入った服を買って、町のお直し屋さんに出そうとしたらしいんですけど、1枚7000〜8000円かかると言われて悔しい思いをした、と。とても気軽に使える値段ではないんですよね。でも、その方は諦めなかった。娘さんのために、独学で服を前開きにする技術を習得されたんです。しかも後から周囲にいる障害を抱える方々の服のお直しをする活動まで始められていた。

 

「障害者の方、そのご家族の方、さまざまな"当事者"からお話を聞きました」

 

前田:その話を聞いた時、ふたつ気付いたことがありました。まず自分の好みで選んだ洋服を着やすくお直しするという方法が存在していること。もうひとつは、ご家族のために独学で学んだお直し技術を世の中の役に立てたいと思っている人が存在するということ

そこから、お直しサービスの潜在的市場がすでにあって、受け手(=お客様)と出し手(=作り手/キヤスト)の双方をマッチングさせれば課題も解決できるし、ビジネスにもなるんじゃないかとひらめいたんです。

日野:前田くんからその話を聞いて、全員一致で「これしかない」となった。それが2021年の2月末。

前田:そこからサービスフローを考えていったわけですが、ここでも車椅子ユーザーの方に協力していただいたんです。自分の洋服を町のお直し屋さんに出してもらって、不便だと感じたことを聞いて、その逆をやれば使いやすいサービスになるはずだと思ったんです。

具体的に言うと、移動の煩わしさを解消するためには、オンライン完結のサービスであることが前提。自分でお直しの材料を選ぶ手間を省くためには、材料費込みで手頃な価格にすればいい。注文しやすい雰囲気を作るために、自身の経験を通じて障害を持っている方の困りごとを具体的にイメージ出来る人にお直しに参加してもらえばいい…みたいな感じです。

 

キヤスクを知ることは、障害者が抱える"衣"の問題を知ること

 

日野:サービスの立ち上げに必要なお金は、前田くんの自己資金と借入、足りない分をクラウドファンディングで集めることになりました。そこからはクラウドファンディングに必要なパーツを揃えていきました。賛同者を集めるために、目的やコンセプトを前田くんが書いて、僕らのチームはPR視点での見え方のプロデュースを担当。

「キヤスク」って名前はクラファンをやるときに、サービス名を決めておいたほうがいいって話になって前田くんが考えたんです。聞いた瞬間に「めちゃくちゃイイじゃん」って思いましたね。服が「着やすく」、注文も「気安く」、「キヨスク」っぽい生活感もある。本当に色んな意味が重なっている。そこから、お直し作業をしてくれるスタッフの名前を皆で出し合って「キヤスト」に決めたんだよね。服のお直しをする人の人生の登場人物でもあるよねって。

 

キヤスクのオリジナル冊子も制作。実際のお客さんがモデルを務めてくれている

 

前田:クラファンは2021年の4月の末から6月までやって、目標の400万は達成。しかも期間中に障害を抱えるお子さんのためにお直しをやっている方々が「力になりたい」と次々に参加を申し出てくれたんですよ。だから募集をかける前に「キヤスト」が集まってくれたんです。

日野:クラファンも含めて、ヴィジョンに共感してくれる応援団的なコミュニティが出来上がりつつあるのを実感するよね。キヤストの方々の大半は、自宅で介護をされていて、働きに出ることが出来ない人たちでもあった。つまり当事者家族の仕事の創出にも繋がってるんです。

 

――2022年3月にサービスをスタートすることになります。始めて1年が経過しましたがいかがですか?

前田:「人生のワンシーンに関われているな」って感じることが本当に多いですね。個人的には双子のお子さんのためにTシャツのお直しを依頼されたお客さんが印象に残ってます。「二人にお揃いの服を着せるという夢がようやく叶いました」ってメッセージをもらった時は、本当にこの仕事を始めてよかったと思いましたね。

日野:いい話。

前田:お兄ちゃんが気に入っていた服をお直しして障害がある弟さんに着せてあげられるようにしたり、お母さんが若い頃に着ていたスーツを寝たきりの娘さんの成人式用にお直しをしたりっていうのもありました。
 

「人生のワンシーンにかかわれる仕事ができてよかったよね」「だね」

日野:どのお直しにも、それぞれの物語があり、すべてに愛があるんだよね。「キヤスク」をきっかけに当事者とかご家族以外にも気持ちの変化がうまれているような気がする。

キヤスクの存在を知ることって、障害者が抱える"衣"の問題を知ることでもある。例えば、アパレル企業の方にキヤスクの話をすると、皆さん「服に関わる仕事をしてるのに考えたこともありませんでした」とおっしゃる。それだけじゃなく「自分にも何か出来ることはないでしょうか」と言ってくださる方も結構多いんです。

 

――そこに気づけたら、みんなが助けたくなる。そういう仕組みをつくれたのが素晴らしいですよね。ちなみにキヤスクは「ACC TOKYO CREATIVITY AWASRDS」の2022年度デザイン部門でグランプリを獲得しました。

 

日野:賞を獲ったこと以上に、賞をくれた審査員の方々の気持ちが嬉しかったですよ。「これだけ世の中のためになるサービスなら、広告に携わるものとして応援しなきゃダメだ」って思ってくださったんじゃないかなって。

なぜかというと僕自身がそう思って、このプロジェクトに関わり始めたから。自分は20年以上、広告の世界でそれなりに力をつけてきたと自負しているけど、前田くんが考えるような素晴らしい世界の実現に役に立てることができなければ、何のための力なのかなと思ってしまう。
 

「前田くん、この賞は結構すごいのよ」


――広告業界のプレイヤーの力は、本来はもっと社会のために役立つはずである…みたいな話を日野さんはいつもされてますもんね。

日野:そう思います。多分『キヤスク』って、出会った人を巻き込むメチャメチャ強い力を持ったサービスなんですよ。そうやって、巻き込まれた僕らが、皆さんが、自分のいる場所で何かアクションを起こして、みんなが着たい服を自由に選べるようになったらいいなって思ってます。 SDGsが言う「誰一人取り残さない」って、そういうことだもんね。

 

――なんかすごくかっこいいこと言ってるんで、そこは編集でバッサリとカットしますね(嘘です)。では最後に前田さんから、今後の展望について教えてください。

前田:キヤスクには「必要性」も「可能性」もあるように感じています。⼀⽅で、 事業として存続させていく難しさも、改めて実感しているというか。可能な限り余計なコストがかからない事業構造にしていますが、 それでも⼀定の運営費はかかってしまいますし、事業をより良いかたちにしていくための資⾦も、これから必要になってきます。

 

――資金調達も必要ということですよね。

前田:はい。キヤスクらしく、これまで⼤切にしてきたことを手放すことなく、資金調達するにはどうしたらいいかを考えています。

もちろん会社を大きくすることが最優先になって、お客さんとキヤストをないがしろにするようなことはしたくないし、持続性という点でも一つの会社が全ての役割を背負うのは健全じゃないとも考えています。『キヤスク』を通じて得られるノウハウや知見は、しっかりとアーカイブして、世の中と共有していきたい。事業としてしっかり成立させつつ、障害者が抱える"衣"の問題を世の中に発信する起点にもなっていけたらと思っています。

 

 

キヤスク公式URL:
https://kiyasuku.com/

 

構成:吉田大
撮影:片岡祥(前田くんと日野くんの高校の後輩)

 

ケトルキッチン編集部
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