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連載 : Kettleのお仕事

2022/05/09

Kettleのお仕事特別企画 堀田湯三代目 堀田和宣さん×小杉湯三代目 平松佑介さん×皆川壮一郎 鼎談 「銭湯を起点に“街を温める”、新たな地域連携へのチャレンジとは?」

ケトルキッチン編集部

(写真:左から、平松佑介さん、堀田和宣さん、皆川壮一郎)

 

昭和17(1942)年創業、ことし80周年を迎える西新井の老舗銭湯「堀田湯」が、2022年4月26日(良い風呂の日)に生まれ変わりました。新生・堀田湯のコンセプトは「この街を、温める。」。従来の「銭湯」の領域をはるかに超えて、街の人同士や街の内外にいる人を繋ぐ拠点になることを目指します。
このリニューアルのタイミングで、堀田湯三代目 堀田和宣さんと、近年の銭湯ブームの立役者の一人、堀田湯再開のサポートも行なっている、高円寺のシンボル的銭湯「小杉湯」の三代目 平松佑介さん、博報堂ケトル クリエイティブディレクター 皆川壮一郎が、これから求められる「銭湯」のかたちについて語り合いました。

銭湯はカルチャーとして進化している! いまの銭湯事情とは

ーーバックグランドの異なるみなさんですが、これまでの仕事内容について教えてください

平松佑介さん(以下、平松):杉並区高円寺で昭和8(1933)年に創業し、ことしで88年目の「小杉湯」という銭湯を経営しています。祖父の代から「小杉湯」を経営していて僕は3代目になりますが、「なんで平松なのに、『小杉湯』なの?」とよく聞かれます(笑)。創業時、「小杉湯」は小山さんという方が建てた銭湯でした。小山さんは何軒も銭湯を経営していて、「“小”山さんが“杉”並区に建てた銭湯」だったので、「小杉湯」に。僕の祖父は新潟出身で「小杉湯」創業の5年後に新潟から上京し、飲食業をやったりしながらお金を貯め、「小杉湯」を買ってくれたんです。そこから、父と僕が継承したことになります。

20代のときは住宅不動産業界で営業を、30代でベンチャーを創業して6年間やらせていただき、36歳のとき家業を継ごうと決めて、2016年10月から働きはじめました。

堀田和宣さん(以下、堀田):この4月26日で晴れて3代目になった堀田です。僕はずっとこの西新井で育ち、大学生のときにこの街を離れて、いくつかの事業を起業してきました。最初に創ったのが、「ZOZOTOWN」という会社。その後結婚式の仕事をやって、「テイクアンドギヴ・ニーズ」、現在の「グッドラック・コーポレーション」という会社を創業し、約20年です。

皆川壮一郎(以下、皆川):僕は前職も広告会社で営業とマーケティングの部署を経験し、博報堂ケトルに正式入社したのが2018年。TVCMも大好きなんですけど、元々クリエイティブの力やアイデア、PRのスキルをいわゆる広告の分野以外に活かしたいなと思っていたので、堀田湯さんのリニューアルプロジェクトはすごく興味のある内容でした。

 

 

ーー東京における銭湯カルチャーのはじまりと現状を教えていただけますか?

平松:東京都の銭湯事情を語るうえで重要なポイントとして、関東大震災後の復興と戦後の復興という大きな二つがあるんです。関東大震災(1923年)後の復興で1937年頃は東京に約2900軒の銭湯がありました。それが戦争(1929年〜1945年の第二次世界大戦)の空襲で400軒まで減っちゃうんです。そこから戦後の復興で銭湯が再び建設され、約20年後の1968年には2687軒まで増えました。単純計算で年間120件ぐらい東京に銭湯が増えたことになる。その間、東京の人口も約350万人から、1000万人を超えるほどに増えていて、復興とともに人が集まって、街がつくられ、銭湯がつくられていったんですね。1968年の約2700軒という数字は、いまの東京にあるセブンイレブンの数とほぼ同じくらいになります。

その後、1964年の東京オリンピックをきっかけにユニットバスが誕生し、家にお風呂がつくられるように。高度経済成長で新しい家がどんどん建設され、家風呂率が急速に上がっていきました。家にお風呂がないからという理由で銭湯に行っていた人が多かったので、銭湯需要はどんどん減っていき、現在の東京都の銭湯数は499軒(2020年12月末時点)になります。

「公衆浴場」と呼ばれる入浴施設全体で考えると、「公衆浴場」の中に「一般公衆浴場」と「その他公衆浴場」があります。「一般公衆浴場」が銭湯のことで、「その他公衆浴場」はスーパー銭湯のことをさしてますが、昭和40(1965)年ぐらいから「公衆浴場」の数は、2万5000ぐらい。その数は、現在に至るまで2万5000〜2万8000ほどの数値を維持していて、大きくは変わっていないんですよ。

「公衆浴場」の元は、「一般公衆浴場」で、銭湯として親しまれていたものが家風呂率の増加でどんどん少なくなってしまったんですけど、スーパー銭湯の誕生と増加によって「公衆浴場」全体の総数は変わっていない。それはある意味、「公衆浴場」は、銭湯からスーパー銭湯へと進化してきていると言えます。みんなが「お風呂は家で入る」っていうふうにならずに、最初は生活の場だった銭湯がレジャー的に進化をしてきている。「外に出て他者と大きなお風呂に入る」というビジネス、文化はなくならなかったんです。

だから、家にお風呂がなかった時代の銭湯がはじまりですが、家にお風呂ができてレジャー的に進化したスーパー銭湯があって、堀田湯さんなんかはその次の進化をしようとしてるんじゃないかなって、僕はすごく思っています。

 

新たなカルチャーを生み出し、次世代へと継承していく責任

ーー家業である銭湯を継ごうと決意された理由とは?

平松:僕の場合はなんですけど、僕が生まれた1980年頃、既に銭湯経営は斜陽産業だったわけじゃないですか。だから、小学校のときから友達とかみんなに「大変だね」ってすごい言われたんです。さらに、「銭湯を壊してマンションにしたら、一生遊んで暮らせるからいいね」とも言われてました。堀田さんは、そんなこと言われませんでした?

堀田:どうかなー。たしかにそんな扱いではあったかな。

平松:そういう風に周りから言われてはいたんですけど、「小杉湯」には、すごくお客さんが来てたし、地域の方に愛されているなと感じてたし、両親もすごい楽しそうに働いていて。祖父と父が頑張ってきたなか、僕も長男ですし、自分の代で止めるわけにはいかないなっていう気持ちがすごいあったんですよね。

一同:えらい! 僕とは圧倒的な違い(笑)。

平松:ちょっとスケールは違いますけど、ベンチャーも経験して感じているのは、ベンチャーって100m短距離走みたいな感じで、自分が選んだ種目でとにかく1位を取るみたいな感じだったんですけど、家業って駅伝ぽくて、僕はその襷を自分の代で途絶えさせてはいけないなと…。就職活動のときは、いつになるかわからないけど将来は小杉湯をやるんだなっていうことを漠然と考えてました。

家業を継ぐと、やっぱり世界が狭くなっちゃうとか、チャレンジができなくなっちゃうみたいなイメージがすごくあったので、ましてやまわりに「大変だね」って言われてたので、孤独な戦いになっちゃうみたいな恐れがすごいありました。だから限られた時間のなかで挑戦して成果を出さなきゃって思いで、社会にでました。

堀田:僕の場合は去年父親から、「そろそろ店を辞めようと思うんだ」という相談をされたことがきっかけ。僕は全然違う事業をしてきたので「そうなんだ」って受け取って、でも銭湯を継ごうと決意できた理由っていうのは二つあって…。

平松さんも言ってたけど、銭湯が斜陽産業気味にみられてるという、そこですよね。平松さんと同じように子どもの頃から家業を見てきて、いいときがあったのを知ってるし、いい場所なのも知ってるから、そんなに斜陽産業じゃないんじゃないかなと。

元々僕は結婚式の仕事を20数年前はじめたんですけど、その当時の結婚式の仕事が斜陽産業だって言われてたんですよ。でもやってみた結果、答えは違って。自分たちが「こういうものがいい」、「こういうものならみんな喜んでくれるだろうな」っていうのをつくって、それが「ハウスウェディング」と呼ばれるようになり、ブームになったり、時代になったりして、業界イメージを変えられた。その経験があって銭湯界をみていると、なんかいまらしいアップデートしたかたちにすれば、またお客さんが来てくれて、斜陽産業なんかじゃないイメージに変えられるんじゃないかなっていうふうに思ったのが、理由の一つ。

ウェディングの仕事をしていて、いちばんいいなって思える瞬間は、みんなが笑顔になってくれる瞬間だけど、久しぶりに実家の銭湯に入ってみると、確かにお客さんは減ったけど、でもやっぱりみんないい笑顔してて、嫌な顔している人は一人もいなくて、ほっとした時間過ごしてた。いい時間を過ごしてるなあって思って、これをもっと続けていきたいし、大事にしていきたいなって。「一生に一度の幸せも大切だけど、一日に一回の幸せもいいな」と思えたのがもう一つの決意した理由です。

皆川:まさにどっちもハッピーな事業。堀田さんがリゾートウェディングを手がけて、海外でド派手なロケなどされているときは全然結びつかなかったけど(笑)。実は必然性があったんですね。

 

 

ーーみなさんはどのような出合いで繋がったのでしょうか?

皆川:去年の7月くらいですかね、堀田さんに飲み行こうって言われて。よく行く、“西麻布”の焼鳥に行ったんですよ。そこで、「俺の実家なにやってるか知ってる?」って聞かれて…。もちろん知らなかったので、そのときに初めてご実家が「銭湯やってんだ」って話を聞かせてもらい、相談を受けました。

堀田湯に実際に行ってみたら、けっこういい感じで。堀田さんのお父さんとお母さんがいらしたんで、世間話とかして。お風呂にはおじいちゃんから、ちょっとやんちゃな方まで、ほんとに多種多様な人がいて、こここそダイバーシティだなって思って(笑)。僕は銭湯に関して、それまで考えたことがなかったから、家にお風呂のない人が銭湯に来ると思ってたけど、どうやらぜんぜん違うっぽいぞって気づいて。可能性を感じました。

堀田:普通に考えて、「銭湯やろうとしてるのに、なんでケトルに発注しようしてんの?」となると思う。俺自身も、なに言ってんのかな?? って(笑)。当時はどんなかたちでなにをやったらいいのかわかんなくて。

皆川:でも僕らの会社の社長も「すごいおもしろいじゃん」って言ってくれて。自分自身も、15秒のTVCMもものすごい好きなんですけど、長く、100年先でも続く文化をつくりたいなみたいな気持ちがあったんで、「やりましょう」ってお応えしました。

最初、平松さんにお声がけする前は、「エッジの立ったデザイナーズ銭湯にしたい」とか、「西麻布から直行バスを貸し切って、みんなでド派手にシャンパン開けよう」とか、発想が完全に“西麻布”で…(笑)。当初は堀田湯のロゴも、完成版とはまったく違って、めちゃくちゃシャープなロゴとかつくってたんですよ。本当にいいなと思いながら提案してたんですけど、途中からなんか腑に落ちないなーって。なにかが違うな、なにかが足りないなと思ったときに、銭湯文化をもっと知らないといけないなと気づいた。そこで僕たちバラバラにいろんな銭湯に行きはじめて、違う答えをさがしました。そんなときに、別の仕事を通じて平松さんを紹介してもらって高円寺に会いに行ったんですよね。

僕たちには銭湯文化への造詣とか、リサーチが足りてなかった。自分で銭湯に浸かりに行ったら、ロゴのかっこよさとか、緊張感のある内装デザインとか必要ないなって思い知りました。解きほぐされた緩やかな気持ちでいたいって人たちに対して、おしゃれなロゴや凝りすぎたデザインは合わないねって気づいて、そこから一気に方向転換。

堀田:よかったよ、“西麻布”から“西新井”に思考が戻ってきて(笑)。

皆川:すごいよく覚えているんですけど、ある時突然「『この街を、温める。』ってコンセプトどう?」って堀田さんに言われて、人間変わったのかと思った(笑)。

「堀田湯がよくなるだけじゃなくて生まれ育った街を盛り上げたいんだ」って想いをうかがって、この想いをアイデアにするとしたら、どんなことをやっていけばいいのか、そこから平松さんに舵をとってもらいました。「この街を、温める。」というコンセプトが決まって、地元の人を巻き込もうとか、地元の方が来やすいように親しみやすいデザインにしようとか、外観などいろんな内容を変更。ロゴも堀田湯にしか絶対につくれないものにしようって話して、「“ほっ”とする」っていうロゴにしたんですよ。平松さんはほんと銭湯の師匠ですよね。

堀田:銭湯を継ごうと決めてから、西新井に頻繁に訪れるようになるわけですよ。それまでは基本、親に会いにきているだけだったから、街をそんなに意識することがなかったけれど、改めてこの街を歩いたら、僕のいなかった20数年で変わったことに気づいて。駅前は再開発されてマンションがいっぱい建ち、若いファミリーや子どもたちが増えたなあっていう一方で、近所の商店街はすこし元気がなくて。このコントラストみたいなものを融合できるような、西新井の街を温めるような場所に堀田湯がなれたらいいなって思った。そう思ったら、あらゆる発想が西麻布を離れて…(笑)。ようやく帰ってこれた。

皆川:ビジョンに近いっていうか、方向みたいなものを示してもらえたから、僕たちはどんなデザインや広告がいいのかなとか、そこから一つずつ決まっていきました。

堀田:まあまあいいコピーですよね。

皆川:コピーのアワードに出してもいいくらいです(笑)!

 

銭湯を起点に“街を温める”。地域連携へのチャレンジ

平松:僕は、堀田社長とか、堀田湯さんとか、皆川さんとの出会いってすごく光だと思っていて…。

2016年から小杉湯で働きはじめたんですけど、ちょうど同じタイミングぐらいから銭湯が若者に注目されはじめてきて、それこそ京都にある「サウナの梅湯」さんとか家業じゃないのに、家賃を払って銭湯を運営するという人たちが現れはじめたんですよ。僕はそれを知ってびっくりして、家業でもないのに銭湯をやりたい人がいるんだって。そんな未来がやってくるなんてほんとうに驚きでした。

銭湯で働きはじめたばかりの若い世代にも、「すごく銭湯が好きです」って言ってくれる人たちが多くて、そこからサウナのブームがやってくるんですけど、いま振り向いてくれているこの人たちを、逃しちゃいけないというか、ブームをブームで終わらせたら、またみんなが去ってしまって、僕は取り残されちゃうんじゃないかっていう。危機感とか恐怖の方が強かった。いまでもそうなんですけど、原動力はずっと危機感なんですね。

この5年間は、どうすれば小杉湯を続けていけるんだろうか、どうすれば銭湯の文化を継承していけるのだろうかっていうのをすごい考えた期間でもありました。そんな中で自分たちだけではもう無理だったんです。来てくださる人、高円寺の街、銭湯業界、企業さん、行政…、いろんな人たちとの接点をつくって、たくさんの人たちが集まり、行き交う環境をつくり、その中心に銭湯があるから銭湯をなくしちゃいけないよね、というふうにしていかない限りは、続けられないなっていうのが僕の感じたことだった。すごいビジョンを描いたっていうよりかは、どうすれば生き残っていけるかっていうのを必死に考え続けて、いまのかたちにたどり着きました。

だから僕も「この街を、温める。」というコンセプトをお聞きしたときに、「これだ!」って思ったんですよ、ほんとうに。そこまで言葉にできてなかったので。答えは、「銭湯が、街を温めること」なんだって。そしたら、銭湯をなくせないじゃないですか。この言葉は、僕にとってもすごく大きい。

堀田:言葉はそうだけど取り組みとしては、既に小杉湯さんがいろんなことをやられていて、仲間や近所の人がちゃんとコミュニティとして成り立つ、そういう体制をこの5年でつくられている。

 

 

ーーこれからの銭湯には、なにが求められると考えられますか?

平松:銭湯の存在意義ってところでいうと「健康」だなって思うんですよね。この「健康」は、WHOが定義している肉体的にも精神的にも社会的にも満たされている状態という「ウェルビーイング」なのかなって。明日小杉湯がなくなったときに高円寺の人たちが失うものはなんなんだってことを考えたときに、肉体的な面と精神的な面、社会的な面が失われちゃうんじゃないかと。

記事で読んだんですが、アップルのティム・クックが2019年に、将来的に振り返って「アップルの人類への最大の貢献はなんだったか?」と質問されたら、その答は「健康」だろうと答えていたんですよ。世界の市場をみたときに、医療って市場規模だと400兆円くらい(2019年の米国の医療費は約400兆円)ですが、ヘルス全体を加えると800兆円くらいになるらしいです。それを知ってヘルスケアという市場に参入してくる企業と銭湯が組めるんじゃないかと。そういった企業と組むことが、銭湯が生き残る道なんじゃないかと思ったんです。

堀田:そういう視点で銭湯をとらえている経営者、平松さんしかいないよね。

皆川:銭湯を大っきいお風呂空間と思うのか? そうじゃないのか? でかなり違ってくるというか。僕も場としてのお風呂だと思ってたんで、平松さんは絶対そんなふうに思ってないですから。大きなお風呂であることはたしかなんですけど、それでいてなんなのか? 捉え方もいろいろというか。

堀田:平松さんの話を聞いたあとに、めちゃくちゃ喋りづらい(笑)。けれどまたちょっと違う視点もあるよなって。いろんなサポートがあって僕ら銭湯は、入湯料480円という金額の中で頑張らなきゃいけないんですね。多分その金額を見て、みんなに「大変でしょ」とかって言われるんだと思うんですけど、480円なんですよ。ちなみにスターバックスのラテと変わらない(笑)。

毎日だいたい1回スターバックスとか使うじゃないですか。だから僕が思うのは、1回だけスターバックスじゃなくて銭湯を使ってみてねって…。銭湯には、なにかちょっといいものあると思うんだよねって思ってて、それはさっき言ったようなお風呂入っててほっとして笑顔になることもそうだし、朝サウナに入ることもそうなのかもしれないし、ワンコイン以上のなにかがあるから。1回試してもらえたら、もうちょっと感じてもらえることがあると思いました。

皆川:そもそもの銭湯の価値でもある、大きなお風呂で気持ちいいと感じるとか、そこすごい重要ですよね。堀田さんが仰っているのは、シンプルに気持ちよく整備されていることで。平松さんはちょっとひいた視点での存在意義でどっちも正しいですね。

平松:僕も働きはじめたときに、それすごい思いました。ちょうどサードプレイス戦略で、スターバックスがすごく広がっていて、銭湯の入湯料と単価が同じくらいで、どうすればスタバに行くような気持ちで銭湯を選んでもらえるんだろう。最初の頃はすごく思ったのは、ライバルはスターバックスだなって(笑)。そう思ってやってました。

堀田:そう! いま初心者だから。ほんとにそう思ってる。

皆川:堀田湯ポスターのボディコピーもほぼ堀田さんが書いてて、そこにも「サードプレイス」って書いてある。銭湯はほんとうに豊かですよね。

堀田:いまポケットに500円しかないときに、スターバックスと銭湯が並んでいたとしたらどうする? いま僕は確実に銭湯で、1時間くらいで得られる心地よさみたいなものを選ぶ。

皆川:裏返していうと、入湯料が安すぎますよね。こんな最高の空間で。僕はお二人とはまた違うことを思っていて。そもそものお風呂の持っている、大きなお風呂としてのポテンシャルもそうだし、人が集まるって意味での街の中心みたいな場所でもあるんですけど、僕は広告会社の人間なので、480円の入湯料以外のものでも少しずつ稼いでいかないと街の中心として維持できない。稼ぎ方って嫌な言い方になってしまうんですけど、この銭湯という場所が広告のプラットフォーム、体験の場として極上だなと思ってます。

いま鏡広告を実験的にやってみて、すごい広告枠として売れているんですよね。広告としてもすごい特殊で、唯一スマホを持ち込めない浴室という場所で、お風呂に浸かりながら結果的にめちゃくちゃじっくり眺めちゃうんです。そんな広告他には無いですよね。サントリーさん、花王さん、シックさん、ユニチャームさんといったみなさんが価値を感じてくれています。ナショナルクライアントのみなさんって、日本を背負っている想いが強いですし、日本の銭湯文化を応援したいという方々もたくさんいらっしゃるんですよ。

高く売りたいとか、儲けたいとかじゃなくて、銭湯としてちゃんと営業していくためになにかを稼ぐみたいなことは必要なんですよね。そういったときに、この場所の価値を高めていくし、高めていく以前に気づいていないだけで既にある価値として、僕は広告や体験のプラットフォームとしての価値があると思っています。

ドラッグストアだったらみるだけで試せないじゃないですか。銭湯は試しまくれるから可能性があるなと思っていて、いわゆるシャンプー、ボディソープなど、商品はなんでも体験できます。そういう価値のある場所を経営しているんだってことに気づいていない銭湯さんもたくさん全国にいるんじゃないかと思うんですよね。なので、違う視点ですけど、そういう方々のモチベーションをあげるためにも、クライアントの皆さんに対して価値を証明する実験の場にできたらいいなと思います。

 

ーーリニューアルしたばかりの「新生・堀田湯」。注目すべき魅力を教えてください

平松:堀田湯さんと小杉湯の通ずる部分が、宮造りの銭湯のリニューアルなんです。多分近年でこの選択をしている人っていうのがあんまりいなくて。収益的なことを考えたらビルにした方がいいんですよ。上を賃料収入で稼げるようにして、1階、2階部分を銭湯にするっていうのが主流になってきています。そもそも銭湯が減っているというのと、もうひとつ、宮造りの銭湯の建築が減っちゃっているんですよ。大阪にこの宮造りはないんで、これはもう東京の銭湯で、東京の文化なんですよ。宮造りの銭湯はほんとうになくなっちゃうと思うんです。経営していて思いますけど、維持費が大変なんで。建て替えずに、残す選択をしたということがほんとにすごいことだなと。

銭湯業界でいうと、これは「建て替え」ではなく、「中普請(なかぶしん)」というんです。小杉湯も10年以内にどうするのかという選択をしなければならないのですが、業界でいうと10〜30年くらいのサイクルで「中普請」の選択を迫られます。まず、この昔ながらの東京型銭湯建築をみなさんにたのしんでもらいたい。

皆川:なんでこれを壊して、デザイナーズにしようとしてたんだろう(笑)。どうかしてるけど、当時はなんとも思ってなかった…。

平松:それから、堀田湯さんの浴室って、教会みたいな光の入り方をするんですよ。小杉湯もそうなんですけど、午前中の光が差し込む浴室はほんとうに神々しい。堀田湯のまわりにはあまり光を遮るものがないので、土日・祝日などの朝営業の時間帯は、それこそもう480円の価値を超えていると思います。

皆川:「なにを残して、なにを変える」みたいな話って、銭湯だけじゃなくて、老舗ブランドのブランディングの仕事などで絶対出てくる話なんです。手を加えすぎるのは絶対違うんだけど、せっかく僕たちもプロジェクトに関わったから、堀田湯入口のネオンサインはよかったんじゃないかなと思ってます。ほっとする場所だし、いみじくも某コンビニで、「マチのほっとステーション」と掲げてますけど。暗い中でみたときに堀田湯のいちばん目立つ場所にお湯の「ゆ」とサウナの「サ」という、オレンジのネオンが灯っているのはすごい安心すると思うんです。

建物自体はかなりモダンだけど、堀田さんは本業で教会(チャペル)などの建築物を造っているから塩梅がうまいですよね。残すところと新しくしたところのバランスと融合がすごいし、お風呂入りまくっていた経験から、たとえば、温度が違うお風呂があるじゃないですか。敷地にたくさんのお風呂を用意したからできることなんですけど、いろんな人に配慮して、温度が違うお風呂を準備するみたいなユニバーサルもそうだし、東京最深160cmの水風呂があるのもそうだし、サウナから水風呂の空き具合が確認できるみたいなこだわりとか。いつの間にこんなに銭湯に詳しくなったんだみたいな(笑)。

一歩引いた視点の街を温めるとか、ダイバーシティとか、ちょっと頭いい経営者的なところも考えながら、普通に銭湯として、銭湯マニアの人が満足したり、地元のお子さんやいらした人にケアしたりとか盤石な態勢だなと思って。考え方もよしだし、銭湯としても満足できる。

堀田:嬉しいね。

平松:日常の中のハレの日の銭湯と一生に一度のハレの日の教会と、両方の建物を造っている人というのは、日本に一人しかいないですよね。建物の力ってあるんでしょうね。

皆川:堀田さん“日本で教会建ててる数ランキング”あったらけっこう上位ですよね(笑)。

 

堀田:たしかに教会や結婚式場もそうなんですけど、造るときめちゃくちゃこだわってがんばってやっているんですけど、実際それってできてみると、実はそれっていうのは100のなかの半分ぐらいしかなくて、やっぱり人が使っていくもんだから、人のサービスが生まれてくるので、50点のものを100点目指してどのくらい引き上げられるか。結局はこれから入る人のサービスとかオペレーションが肝心になってくる。こっからがすごい大事なことだと思うんです。だからやっぱり目指すは「東京で一番接客のいい銭湯」、「東京で一番綺麗な銭湯」とかって言われる、オペレーションをみてもらえるといいな。

平松:今回堀田湯さんの採用のお手伝いをやらせてもらってて。説明会で40名の応募があったんですけど、人材の質の高さにびっくりしてます。やっぱり一番は、「この街を、温める。」というメッセージにみんな共感をして来てくれていて。10代後半から20代半ばの若い子が多かったんですけど、若い世代が求めていることが、今回の堀田湯のメッセージと重なったのかな。人としてもすごくいい人たちが集まってくれています。

皆川:僕もほんとうにこれからが大事だなって思うんですけど、「この街を、温める。」って言いっ放しにならないようにしていきたくて。鏡広告ってナショナルクライアントだけではなく、地元のお店も出稿くださっていて、堀田湯で鏡広告をみて、帰りにどこかに寄ってもらいたい。お隣のボクシングジムに行ってみるか、商店街の八百屋でなにか買って行こうかとか、機能するといいなと。僕たちは広告屋だから鏡広告を復活させたっていうのがあります。

あとは、堀田湯だけが儲かったり、知られても仕方ないので、「西新井マップ」という街歩きをたのしんでもらうためのイラストマップも制作しています。マップのリサーチ自体が地元の方とのコミュニケションになっているし、地元の方に「がんばってね」って声をいただきました。

この西新井の街をこれからどうやって温めていくのか考えていくんですが、鏡広告やグッズ、あとはスペースも潤沢にあるので屋台、キッチンカーなど、地元の方たちとリンクしてこの場所をまさにプラットフォームとして使えるような状態にしていくことがいいんじゃないかなと思っていて、毎月26日(風呂の日)は、いろんな企画を実施していく予定です。

堀田:あとは温まるだけだね。

 

<プロフィール>
■堀田和宣さん
昭和17年創業、ことし80周年を迎える西新井の老舗銭湯「堀田湯」の三代目、株式会社グッドラック・コーポレーション代表取締役社長。1998年、大学在学中に株式会社テイクアンドギヴ・ニーズを現会長の野尻佳孝氏とともに設立し、取締役に就任。2003年、株式会社グッドラック・コーポレーションを設立し、社長に就任。ハワイ、グアム、台湾、ジャカルタ、沖縄、バリにおいて、ハイアット、ウェスティン、フォーシーズンズ等のブランドホテルにチャペルを多数保有し、国内外のリゾートウエディングを展開する

■平松佑介さん
昭和8年創業、国登録有形文化財に指定された老舗銭湯「小杉湯」の三代目。空き家アパートを活用した「銭湯ぐらし」、オンラインサロン「銭湯再興プロジェクト」など、銭湯を基点にした繋がりや、企業とのコラボレーションを生み出している。2020年3月に複合施設『小杉湯となり』、2021年春には『小杉湯となり-はなれ』がオープン

■皆川壮一郎
クリエイティブディレクター
1978年生まれ。営業職、マーケ職などを経て、現職。趣味と実益を兼ね、夜な夜なスマホ片手にSNS界隈をパトロールし、実際にそこから企画のヒントを得ることも。主な受賞歴は、JAAAクリエイターオブザイヤー メダリストなど


堀田湯HP
https://www.4126.tokyo/

 

スタッフクレジット
Photo(人物撮影):岡本卓大

 

ケトルキッチン編集部
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