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連載 : ロスジェネ経営者の夜明け

2020/01/10

株式会社大治② “家業を継ぐ気はなかった社長”のチャレンジ

ケトルキッチン編集部

日本の多くの経営者や経営者を支える人々に捧ぐ!

ビジネスにおける、事業承継のリアルと、維持・成長の仕方を学ぶ本連載。1973年生まれのKANDO株式会社 代表取締役のディスカッションディレクター高橋輝行さんと、1972年生まれの博報堂ケトル共同CEO・船木研の“ロスジェネ世代”コンビで、毎回様々な分野で活躍する同世代の経営者を招く鼎談形式の連載です。

第1回目のゲストは「東京野菜」ブランドを推進する東京野菜普及協会の理事、また創業70周年を迎える株式会社大治(だいはる)代表取締役社長の本多諭さん(1971年生まれ)をお招きし、事業の引き継ぎから、これからの青果仲卸業の未来についてお聞きしました。(下写真左から、船木、本多氏、高橋氏。以下、敬称略)

1回目はこちら

高橋:経営者が事業承継をするときには、いわゆる先代、先々代が作り上げてきた会社や事業の源流を引き継ぎながら、既存組織のマネジメントをしつつ、なおかつ新しいことをやっていくことが求められます。

さらに、本多社長の場合は、お父様が社長として在任中から、実質的な代表者として会社の舵取りをしなければならないという難しさがあったんじゃないかという気がするのですが。

本多:そうですね。そもそもは会社を継ぐ気がなかった人間としてはよく頑張りましたね。

船木:そうなんですか!?

本多:学校の先生になりたかったんですよ。家は継がないで、母校の中学か高校の先生になって、柔道部の顧問になろうと。だから、教職を取ろうと思って、大学は文学部に行きました。でも、どうしても教職の授業と柔道部の練習が重なるんです。試合にも出たかったし、徐々に柔道部の方に力が入っていって、自然と教職を取るのはまぁいいかという風になってしまって。先生になれないんだったら、家業をやろうかなという感じでした。

高橋:全然家業を継がれる気がないところに、「人生の悪戯」というか不思議な運命で継ぐことになられて…。

本多:不思議な運命というよりも、自業自得です(笑)。それで、せっかく家業を継ぐんだったら、取引先のお客様のところで修行をしてこいという話になって。日本で最初にできた大手スーパーマーケットさんの面接を受けて入社して、社員として2年間働きました。

高橋:本多社長はその後家業の大治に入られて、大治の専務のときから会社のことを任されていたということで、会社を改革するためのチャレンジを色々されていたと思うんですけど、代表的なものを教えてくださいますか?

本多:1つ目は前回お話した、新しい顧客の開拓というところで、それまでスーパーマーケットなど小売店に対して納品してきたのが、外食産業にも納品するようにしたこと。

2つ目は、商品・産地開拓ですね。我々が事業を営む大田市場には現在、仲卸会社が165社あります。そうすると理屈の上では、その165社というのはどこも同じ商品を取り扱うことができるわけですよ。

同じものを扱えるということは結局、みんなで同じ商品を売って、「うちの商品は最高ですよ」という話をしないといけない。その中でどこで差別化するかというと、隣の商品は98円だけど、うちは96円、いや95円で売るというような価格競争しかなくなってしまうんです。うちはそうじゃないやり方で、目先を変えたいと思いました。

それから、他社に注文しているものをうちに切り替えてもらうことを考えても、やはり商品・産地開拓しかないと思いました。市場にない商品を市場に持ってきて、「これは市場に入ってませんよ」ということを一つの売りにしようとしたんですね。

だから、地方に行って青果の産地開拓をしたり、そういうことを続けてきました。でももしかしたら地方に行かなくても身近なところにそういうものがあるんじゃないかということで、1998年に東京産の野菜を開拓し始めたんです。

高橋:そうして「東京野菜」ブランドの創設に行き着くわけですね。色々な新しい事業形態に着手するときには、同時に人材の育成や組織の変革についてもチャレンジする必要があったと思うのですが、そちらはいかがですか?

本多:そうですね。まず大治という会社は歴史的に、大田市場の中でも良い商品のみを扱う「上物師」という呼ばれる仲卸なのですが、「(取引先が高級店ばかりなので)あそこはいいものさえ出しとけば、値段高くつけても買ってもらえるんだ」と影で言われたこともあったということを聞いています。

そんな世間からの見られ方もある中で、社員の高齢化も進んでいました。今までやってこなかったような営業活動や商品提案を実行していくためには、それまでいる社員はもちろんだけれど、新しい年齢層の方にも活躍してもらわなきゃ難しいという風に思ったので、入社1年目から「採用面接を自分でやります」と宣言したんです。

船木:へーー!

本多:大学を卒業してわずか3年目の僕が採用面接をしたんです。ですから、現在弊社の役員、部長、副部長クラスまでは社歴は僕の先輩ですが、副部長4名からその下の役職の社員は大体40歳半ばの僕よりちょっと年下が多いんですよ。

そうやって、ある程度やる気のある若手を揃えたうえで、あとは新卒採用もしました。近隣の高校生から始まって、専門学校生、大学生とだんだん幅を広げていって、一番多いときは新卒を11名採用したこともあります。

ただ難しいのは、もともと弊社は従業員30人から始まって今では150人ほどいるんですね。そうすると会社の成長に人が追い付いていかない部分があって。例えば、アルバイトで入って、社員になってがむしゃらにやっていたら、気づけば役員になっていたという感じなんです。

そうすると、最初にそのようなキャリアパスを思い描いて入ってきたわけではないので、管理職として、自分が何をすべきかをあらためて認識してもらう必要があったりする。ですから今の課題としては、仲卸会社としては大規模な組織になったので、それに合わせて組織をアップデートしていくということがあります。


<つづきます>

ケトルキッチン編集部
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