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連載 : きむらけんたろうの旅先で俺も考えた。

2020/02/22

第8話 台湾で、感染対策について考えた。

木村健太郎

第8話 台湾で、感染対策について考えた。

先週末、出張で台湾に行ってきました。

コロナウィルスが拡大する中で、中華圏にある台湾に出張するということは一見心配に感じますよね。
でも、会社からは渡航の自粛や禁止は出ておらず、その時点では台湾からの発症者数は20人程度で日本の3分の1以下、現地からも日本と状況は変わらないという報告を受けたので、予定通り行くことにしました。

僕は、今までもこういう渡航判断をよく迫られることが何度もありました。
しかし、そういう時は、イメージや感情的な判断でなく、公的な判断と現地のファクトに従うことにしています。
その上で、自分の感覚で勝手に自粛や決行を決めない、かつそういう状況下で行く場合は万全な準備と対策をしていくことにしています。

2011年3月には、東日本大震災がありましたが、その3日後にタイでアジア各国の人が数十人集まるワークショップを控えていて、自分が行かないと彼らの渡航が無駄になってしまうため、予定通り震災翌日に出発しました。

2016年1月に、インドネシアの某大臣に講演を依頼されたことがあるのですが、その前週にジャカルタ市内で爆発テロが起きました。僕以外のスピーカーは渡航を取りやめてしまいましたが、現地からの危険はないという情報と、会社からの判断に従って、翌週予定通りに、大臣や政府の方々を前に講演をさせていただきました。
反対に、公的な自粛勧告と現地の情報に従って、渡航を取りやめたこともあります。

さて、今回はそうは言っても国際空港を通るわけですから、マスクをして、何かに触ったらその都度除菌シートで手を消毒しました。
機内に乗るとまず、感染防止申告書というのが配られました。
体調や海外渡航歴、もしものときに追跡するためのホテルや携帯番号などを書くシートです。
台北の松山空港では、飛行機を降りたところでまず全員おでこに検温機を当てられてから、ゲートに進みます。
入国審査でも、入国書類の端っこに携帯番号を書くよう指示を受けました。
空港を出て、タクシー乗り場の列の先頭に来ると、係員が乗客に両手を出させて、スプレーでアルコール消毒をしてくれます。
レストランでも、バーでも、店員がメニューを持ってくるときに、同時に手を出してアルコールをシュッシュとしてくれます(アルコールアレルギーの人はご注意ください)。
もちろんオフィスやトイレには、アルコール消毒液が置いてあります。
ドラッグストアやスーパーでは、マスクは買い占められないように、身分証明書の番号で買う数が制限されているようでした。
ホテルのチェックイン時や、人が集まる場所の入り口では、おでこにピッと検温機を当てられます。

このように、感染防止策はかなり徹底している印象なのですが、街にはいつも通り人がたくさんいて、マスクをしている人は半分くらい、オフィスの様子も普通でした。
やれることはしっかり全部やった上で、必要以上に自粛したりひきこもったりせず、普通の生活が送られている感じです。

日本は、最近タイが日本とシンガポールへの渡航の自粛を勧告しましたが、台湾は逆に、フィリピン政府が、厳格な感染防止策を理由に、台湾からフィリピンへの入国禁止を2月14日に解除しています。
感染者数は、2月22日時点で、日本が105人(クルーズ船除く)、台湾は26人です。

僕は現地に2泊しかしてないので、もちろん感染対策の全容について知ってるわけではありません。
ただ、現地の友人に聞いたところ、春節を経ても感染者数が爆発的に拡大しない要因は、政府の感染防止策が早かったのに加え、中国本土とのフライトを全面的にストップしていることではないかと言っていました。1月の総統選の前に中国政府側が台湾への団体旅行、そして個人旅行を事実上禁止したため、それを逆手にとって継続する形で全面ストップしていると。

現地でのミッションを終え、日本に帰国しました。
でも、帰りの機内では、感染防止申告書どころか、どこにも携帯番号も書かされませんでした。
羽田空港に着くと、近くのゲートには、中国本土各都市からのフライトが次々着陸している中、トイレにはアルコール消毒液さえ置いてありませんでした。
もちろんタクシーに乗る時も、レストランに入る時も、消毒も検温も一切されません。
僕は台湾で手を出してシュッシュしてもらうのに慣れてしまったので、今ではなんかやらないと気持ち悪い気がします。

テレビでは毎日クルーズ船のニュースが流れ、イベントや人が集まる会議が次々中止や延期になり、オリンピックを控えてレピュテーションリスクの問題が議論されています。
どれもとても重要なことですが、その前に、僕らが住んでいる街中で感染を広げないためにまず現実的にできることがあるのではないかと思いました。

木村健太郎
1992年に博報堂入社後、ストラテジーからクリエイティブ、デジタル、PRまで職種領域を越境したスタイルを確立し、2006年嶋と共同CEOとして博報堂ケトルを設立。マス広告を基軸としたインテグレートキャンペーンから、デジタルやアウトドアを基軸としたイノベーティブなキャンペーンまで幅広い得意技を持つ。これまで10のグランプリを含む150を超える国内外の広告賞を受賞し、カンヌライオンズチタニウム部門審査員、アドフェスト審査員長、スパイクスアジア審査員長など25回以上の国際広告賞の審査員経験を持つ。海外での講演も多く、2013年から5回にわたりカンヌライオンズ公式スピーカー。ADWEEKの世界のクリエイティブ100に選ばれる。2017年からケトルに加え、博報堂の海外ビジネスのスタッフ部門を統括する役職を兼任。グローバル統合ソリューション局局長と博報堂インターナショナルのチーフクリエイティブオフィサーとして年間100日間程度海外を飛び回る生活をしてきた。著書に『ブレイクスルーひらめきはロジックから生まれる』(宣伝会議)がある。
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