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連載 : きむらけんたろうの旅先で俺も考えた。

2020/06/23

第11話 カンヌで、議論のルールについて考えた。

木村健太郎

毎年6月に南仏カンヌで1万人以上を集めて行われるカンヌライオンズ・国際クリエイティビティ・フェスティバル。
2020年はコロナ禍のせいで残念ながら一部のセミナーを除いて中止となってしまいましたが、カンヌは我々に毎年貴重な学びをもたらしてきました。

僕が参加した16回の中で一番濃いカンヌは、2014年だったような気がします。この年は、チタニウムライオン部門の審査員をした後に、長谷部守彦さんと「Agency Model 2024」という広告産業の10年後を予想するセミナーのスピーカーをしました。

この審査体験にはたくさんの学びがありました。
そしてそれは今、これからリモートワーク時代を生きる日本人にとって大切なことのような気がしています。
なので今回は、審査会場で何が話されたか、そして僕が何を感じて考えたかについて話します。

審査員は10人。審査員長経験者やグランプリ受賞者、チーフクリエイティブオフィサーなど、業界のリーダーばかりなのですが、驚いたことに、チタニウムの審査基準は「The New Way Forward(業界の未来を切り開く)」という言葉以外には何も決められていないのです。

5日間の審査初日の朝、カンヌのCEOがやってきてしゃべったことは、
「ここにいる諸君はすでに今年あちこちの広告祭で審査してきたでしょう。でもだからこそ、はじめから評価を決めてかからないでほしい。この数日の議論で今の認識や基準が変わっていくはずだから」

 続いて審査委員長は、
「チタニウムの審査基準はあえて決めないでおこう。何が我々の産業を前進させるかをじっくり議論したいんだ」

審査のブリーフィングとしては、これだけでした。

 

では、一体何が我々の業界の未来を切り開く仕事なのでしょうか。
その議論は審査4日目、一次投票でロング・ショートリストと呼ばれる36作品に絞られたときにやってきました。

この段階での圧倒的な1位はボルボの「ライブテストシリーズ」。トラックの性能を、体を張って実証していく広告シリーズです。食事時の審査員同士の会話でも「今年はライブテストシリーズがグランプリだね」と話されていました。

でも僕の考えでは、グランプリは、ライブテストシリーズでなく、データクリエイティブというジャンルを切り開いた革新性から、日本から出品されていたサウンドオブホンダ(この時点では6位)が取るべきだと思いました。

審査員のひとりに、僕が尊敬するDroga5という広告会社の審査員がいました。そこで、ライブテストシリーズについて議論する番になったとき、リスペクトを込めてこう切り出しました。

「Droga5が2006年に受賞した“Still Free”は、バイラルムービー時代の幕を切った画期的な作品でした。ライブテストシリーズは大成功キャンペーンだけど、本当かフェイクかわからない衝撃的なドキュメントフィルムで話題を巻き起こすという点では、これと同じ手法だと思います。チタニウム部門のグランプリには、新しいジャンルを創造した今までに見たことのない仕事を選ぶべきではないでしょうか」

これに対しては、すかさず反対意見が出て僕の主張は一蹴されました。

「私はそうは思わない。全くトラックに興味のない一般の人々を夢中にさせた、こんなに広告業界を勇気づけたキャンペーンは他に見たことがないと思う。ライブテストシリーズこそがチタニウムの頂点にふさわしい作品よ」

しかし、映画「ジャッジ」のように、日本人をアシストするのはたいていブラジル人!すぐさまブラジル人の審査員がこう言ってくれました。

「いやー、僕はケンタローの言うとおりだと思うな。ライブテストシリーズはすばらしいが、プロダクトのデモフィルムにすぎないよ」

これがきっかけとなって、この議論はチタニウム自体の審査基準の話に拡大していきました。

まず、審査委員長が自分の意見を述べました。

「そもそも、なぜフィルムがチタニウムをとってはいけないのだろうか。これまでのように新しいメディアやテクノロジーばかりがチタニウムをとるのでは業界をミスリードする。テレビCMが初めてチタニウムのグランプリをとる。これこそ今の広告産業に一番必要なメッセージではないだろうか」

なるほどー。そういう考え方もあるのか。

トラディショナル派の強い主張です。

「待ってください。『マス広告vs非マス広告』といった新旧メディア対立論はもう何年も前に終わった議論ですよ。どんなメディアでもいい。見たことのない斬新なコミュニケーションの手法だけが僕らの業界を進化させるのです」

イノベーション派の反撃です。僕と近い立場です。

「いや、今は手法でなくイシューに目を向けるべき時です。世界は今までにないくらい様々な深刻な社会問題に直面しています。解決困難な社会課題を鮮やかに解決するビッグアイデアこそが広告業界の新しい可能性を提示するのです。」

ソーシャルグッド派の反論です。カンヌ受賞作にソーシャルグッドが多くなってきたベースになっている主張ですね。カンヌ全体の今に続く潮流でもあります。

「僕は反対だな。最近のカンヌはソーシャルグッドやCSRの作品が多すぎると思う。今広告産業に求められているのはクライアントに大きな成長をもたらした新しい成功モデル。ブランドを強くする斬新なキャンペーンを、賞賛すべきだよ。」

ブランド派は、ソーシャルグッド派に真っ向から反対します。

「いやいや、2009年のオバマ大統領選キャンペーンのように、世界を変えたスケールのでかい歴史的なキャンペーンこそ、世界中のアドピープル達がチタニウムに待ち望んでいるはずです。」

ワールドチェンジ派の主張です。

この日僕が体験したのは、広告業界の世界的なリーダーたちが、単なる作品の評価を超えて、それぞれ独自の視点から、カンヌのあり方、しいては広告産業の未来について、これでもかというくらい多様な考え方を提言して議論する素晴らしいダイバーシティカルチャーでした。

個人的な賛否はさておき、どの意見にも個人の強い信念に基づいた情熱と説得力がありました。
そもそもクリエイティビティとは、人間の発想や価値観を広げていく力です。
この「あくなき多様性の追求」こそが、カンヌライオンズ・フェスティバル・オブ・クリエイティビティの本質なんだと思います。

でも別の言い方をすれば、この日体験したのは、10人しかいない審査員が、みんなバラバラな意見を言いたい放題に主張し続けるカオスでした。

ニュージャンル派、トラディショナル派、イノベーション派、ソーシャルグッド派、ブランド派、ワールドチェンジ派….。誰も歩み寄りません。でも審査基準が決まらないと投票にすすめません。果たしてどうやって結論を出すのでしょうか。

はい。まとまるわけなんてありません。というか誰もまとめるつもりなんてなかったみたいです。その後もこのような激しい主張のぶつかり合いが1時間以上も続いてしまい、ちょっと険悪な雰囲気のまま、その日は審査委員長の判断で、夕方早めに解散になりました。

ああ。僕の発言がきっかけで、審査4日目にもなって結論の見えない議論が始まってしまい、感情的に対立したまま審査がストップしちゃった。明日が最終日なのに、ちゃんと全員納得して合意できるんだろうか?

そんなことを心配しながら、ブラジル人の審査員とビールを飲んで、会場を後にしたのを覚えています。

ところが、翌朝。

「おはよう。元気?昨日は遅くまでのんじゃってさー」

審査員たちは会場に集まると、何事もなかったかのように、ハグして、握手して、ニコニコしながら世間話をする。

昨日は、あんなにエキサイトして対立、分裂していたのに。
日本人の僕が、欧米がうらやましいなと思うことのひとつに、険悪になるほど激しく議論をした翌日に、信じられないくらいみんなケロッとフレンドリーなムードに戻ることです。日本人だと感情的に尾を引く人もいるだろうなあと思うけど、こっちでは議論の対立と、人間関係の対立は別物なんです。

「みなさん、昨日のディスカッションは素晴らしかった。では、投票しよう」
と審査委員長。

そして、ひとつひとつの作品について議論して投票していきました。
審査基準はついぞ明文化されませんでしたが、全員が自分の意見はもう表明したので、その上での議論も建設的で、多数決での判断に異議を唱える人もいませんでした。

こうして投票はスムーズに進み、ブロンズ、シルバー、ゴールド、グランプリが決まっていきました。
圧倒的なグランプリ候補だったボルボのライブテストシリーズも、投票でゴールドにとどまり、グランプリはサウンドオブホンダになりました。
誰かの主張が勝ったというわけではなく、それぞれの視点がしっかり盛り込まれた結果になったと思います。

最終日、記者会見を終え、夜の授賞式では審査委員長のグランプリ講評に、会場から大きな拍手と歓声があがりました。
僕もこのとき、一審査員としてやりきった達成感で感慨無量になったのを覚えています。

「空気を読む」というルールの中で生きている僕ら日本人の感覚では、意見がバラバラなままだと、議論がかみあってないという感覚になりますよね。

でも、グローバルディスカッションというのは、結論に向かって合意形成していくこと以前に、多様な主張を全てオンザテーブルにして、それぞれの視点をリスペクトしながらフェアにぶつかり合いを起こすということが大切なルールとされています。

意見やモノの捉え方の違いというのは本能的に不快なものなので、同じ意見に統一したくなるものです。でも「多様性」とは、意見の違いを違うままにしておくことを心地よく感じることなのだと思います。

カンヌでは、日本人審査員は発言が少ない人が多いとよく聞きます。
僕も2007年に初めてカンヌで審査したときにはなかなか発言できませんでした。
それは英語力の問題もあると思いますが、それ以上に、場の空気を乱さないように気を配ってしまうからだと思います。
極端な言い方ですが、日本人がグローバルなディスカッションで自分の主張を提示するにはまず、必要以上に場の空気を読む癖をやめることからだと思います。

先日、グローバル統合ソリューション局の仲間と話していて、このグローバルディスカッションのルールは、実はリモートワークに大切なことなのではないかという話で盛り上がりました。リモート会議は、グローバルスタンダードなのではないかと。
海外のクライアントやパートナーとの仕事は、コロナ禍の前から、直接会わずにリモートで打ち合わせしてプレゼンすることがめずらしくありませんでした。
そこには、面着による日本人的なあいまいなすりあわせや、空気を読んでのあうんの合意に頼らずに、何かを決めたり何かを生み出すための知恵があるのです。

具体的にどうすればいいのでしょうか。

僕は、視点を出すフェーズと、決定するフェーズで、ルールを分ければいいのではないかと思います。
視点を出すフェーズのルールは、出席者全員が必ず、場の空気に忖度せずに、自分の意見を表明すること。
それが、議論に貢献することだからです。
でも、Zoomなどのオンライン会議では、声のでかい人だけがしゃべり続けて、ひとこともしゃべらないで終わってしまう人が出てしまうことがあります。さらに、発言しない人は顔も映らない。
それが場の空気を乱すなと言う同調圧力のせいだとしたら、それは多様な個人が持っていたクリエイティビティを押さえつけていることになる。とても残念なことです。

では、どうすればいいのか。

まずは、議論を仕切っている人が全員に意見をたずねることです。
チタニウムの審査委員長だったプラスーン・ジョシ氏は、自らは審査基準を決めずに、常に全員に意見表明の機会を与えて、さらに一晩放置してくれました。

自分に発言の機会が回ってこないときにはどうすればいいのでしょうか。
僕はよくこう言います。
「あのー、場の空気を壊す意図はないんですが、会議に貢献したいので、自分の意見を話してもいいですか」

決定するフェーズに映ったら、決めるルールに従うべきだと思います。
仕事だったら決定権のある責任者の判断ですし、広告賞であれば投票がルールです。
オンライン会議では、「まあそんな感じで」とか「そこをなんとか」みたいなあいまいな決め方は通用しません。
大切なのは、そのルールで一度決まったら、たとえ自分の意見が採用されていなくても、その決定をポジティブに受け入れることです。
その結論には自分の貢献は何らかの形で盛り込まれているわけだから、勝ち負けでなく全員の成果なのです。

もちろん、顔を突き合わせて話したほうがいろいろやりやすいことはあると思います。
でも、顔を突き合わせないリモートワークは、多様な意見を持った参加者が、主張を明快にオンザテーブルに出した上で、フェアにぶつかりあって物事を決めていく、という議論のルールに我々日本人が慣れていくいいチャンスなのかもしれないな、と思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

木村健太郎
1992年に博報堂入社後、ストラテジーからクリエイティブ、デジタル、PRまで職種領域を越境したスタイルを確立し、2006年嶋と共同CEOとして博報堂ケトルを設立。マス広告を基軸としたインテグレートキャンペーンから、デジタルやアウトドアを基軸としたイノベーティブなキャンペーンまで幅広い得意技を持つ。これまで10のグランプリを含む150を超える国内外の広告賞を受賞し、カンヌライオンズチタニウム部門審査員、アドフェスト審査員長、スパイクスアジア審査員長など25回以上の国際広告賞の審査員経験を持つ。海外での講演も多く、2013年から5回にわたりカンヌライオンズ公式スピーカー。ADWEEKの世界のクリエイティブ100に選ばれる。2017年からケトルに加え、博報堂の海外ビジネスのスタッフ部門を統括する役職を兼任。グローバル統合ソリューション局局長と博報堂インターナショナルのチーフクリエイティブオフィサーとして年間100日間程度海外を飛び回る生活をしてきた。著書に『ブレイクスルーひらめきはロジックから生まれる』(宣伝会議)がある。
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