2021/03/31
第13話 ポーランドで、コミュニケーションについて考えた。
木村健太郎
ズブロッカというお酒を飲んだことはありますか?
バイソングラスというワラのような草がボトルに入っていて独特な香りがする、僕が好きな東欧ポーランドのウォッカです。
今回は、僕が、このズブロッカを通じて、コミュニケーションの仕事、あるいはグローバルコミュニケーションの仕事に興味を持った原体験の話をします。

20歳の夏、休学していた僕は、ニューヨークのコロンビア大学のサマースクールに1ヶ月間いたのちに、3万円ちょっとで大西洋を渡れるチケットを見つけてポーランドに飛びました。
目的地はワルシャワから南に300キロのクラコフという古都の近郊にあるノーヴィソンジという小さな町。
国際ワークキャンプという、世界中の若者が働きながら一緒に暮らす国際交流キャンプに参加するためです。
みなさんは、英語が全く通じない国を旅したことってありますか?
当時のポーランドはまだベルリンの壁が崩壊した直後で、まだロシア語やドイツ語をしゃべれる人はいても、英語をしゃべれる人はあまりいませんでした。
空港からワルシャワ駅にたどり着いてなんとかノーヴィソンジ行きの鉄道の切符を買って列車に乗り込みました。
「世界の車窓から」のような6時間の電車の旅。
でも、ガイドブックにも載ってない町に夜遅くに着くので、その晩泊まるホテルを見つけなければいけません。
なので、列車のコンパートメントで一緒になった3人のポーランド人に話しかけました。
「こんにちは。日本から来ました。ノーヴィソンジ駅の近くにリーズナブルなホテルはありますか?」
「※∂〻∋☆⊥∀♀⌘∂※⊥∋⌘」
「すいません。ポーランド語はわかりません。」
「※∂〻∋☆⊥∀♀⌘∂※⊥∋⌘」
「あー、ジャパン、ジャパン、わかります?トーキョー、フジヤマ、アキラクロサワ、リューイチサカモト、、、」
「※∂〻∋☆⊥∀♀⌘∂※⊥∋⌘」
もうほとんど宇宙人と会話しているみたいな、いや、会話は一応成立してるけど多分全然意味が通じてない。
でも、こっちとしては、サバイバルがかかってるんで、ボディランゲージとイラスト筆談をも駆使して、粘り強く対話を続けました。
結局、あちこち寄り道した挙句、
「駅前に国営ホテルがあるよ。米ドルで20ドルくらいで泊まれるよ。」
という情報を得るまでに30分くらいかかりました。
カタコトも英語が話せない人と何かを伝え合うのがこんなに大変だとは思いませんでした。
日本人は英語が苦手、と言われますが、とはいえ誰もが基本的な英単語は知っています。
それが全く通じない、つまり意味を共有できるコードが全くないと、言語というコミュニケーション手段は思いのほか無力なのです。
人類が最初に交わしたコミュニケーションは、実は言語でなく手話だったという説があります。
しぐさや表情、イラストや写真などのビジュアルコミュニケーションは、言語より根源的なのかもしれません。
でも、そういうあの手この手を尽くした挙げ句に、なんとか通じ合った時の喜びはひとしおです。
この「わかりあう喜び」を追求して、人類は進化してきたんだなと思います。
言語、文字、デザイン、印刷、写真、映画、電話、ラジオ、テレビ、そして、当時はまだなかったですが、インターネット、ソーシャルメディア…。
さて、夜遅く、目的地ノーヴィーソンジに着き、そのホテルに無事チェックインできました。
社会主義リアリズム様式の立派なビル。直線的で無機質なデザイン。
旧共産圏に来たな、という感じがしました。
チェックインしてさっそく1階のレストランへ。
テーブルがずらりと並ぶ広い空間にお客は男たち4組だけ。
みんな会話をやめて僕のことを興味津々に注目しています。
この街に足を踏み入れたアジア人がよほど珍しいのでしょう。
蝶ネクタイのウェイターがメニューをもってきました。
もちろん全部ポーランド語で読めません。
でも、この国で最初に注文するものは決めていました。
「こんばんは。ズブロッカをください。」
「※∂〻∋☆⊥∀♀⌘∂※⊥∋⌘?」
伝わってるんだろうか。
「ズブロッカプリーズ。ズブロッカシルブプレ。」
「※∂〻∋☆⊥∀♀⌘∂※⊥∋⌘」
ウェイターはペラペラ何かをしゃべりながら、厨房に下がっていきました。
そして5分後。
なんと、運ばれてきたのは、ズブロッカではなく、皿一杯に盛られた生のニンジンの千切りだったのです。
なんじゃこりゃ!
レストランのまわりの客たちがニヤニヤしながら僕のことを凝視しています。
生の千切りニンジンを注文したアジア人!!
これはもう、覚悟を決めるしかありません。
「オー、サンキューベリーマッチ」
ウェイターにそういうと、僕はニンジンをむしゃむしゃ食べ始めました。
お腹が空いていたので、生のニンジンの千切り、意外と美味い。
そう思いながら、まわりのテーブルから妙な気配を感じました。
ほどなく、ウェイターがやってきて、大盛りのニンジンの千切りがあと4皿、僕のテーブルに並べられたのでした。
「あちらのテーブルからと、こちらのテーブルからと、そちらとあちらのテーブルから....」
ニンジン5皿!!!!
「オー、サンキューベリーマッチ!」
全員に礼儀正しく会釈をして、むしゃむしゃむしゃ。
そしてその5分後、そのレストランの客全員は僕のテーブルに座り、ズブロッカを手に大笑いして盛り上がっていました。
英語が話せる人がいたので、僕の「ズブロッカ(Żubrówka)」の発音が、生野菜サラダを意味する「スルフカ(Surówka)」に聞こえていたこともわかりました。
こうして、ポーランドの緊張の初日は、僕の大好きなズブロッカで何度も乾杯した最高の夜で終わったのです。
この列車での経験や、レストランでの経験は、スマホを取り出せばなんでも検索できてどんな言語でも瞬時に翻訳してくれる今の時代では、もう体験できなくなってしまったことかもしれません。
僕がその後コミュニケーションの仕事に就いて、今に至るまで飽きずに楽しく続けてきたのは、この原体験があったからなのかもしれないな、と思います。
▼国際ワークキャンプについてはこちら。
https://www.nice1.gr.jp/workcamp/

