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連載 : きむらけんたろうの旅先で俺も考えた。

2024/06/18

第23話 カンヌで審査員長をやってみた(3)

木村健太郎

二日目の夜に審査員のウェルカムパーティがあり、審査員同士がようやく対面で会うことができた。
国でいうと、左からインド(その旦那さん)、南アフリカ、オーストラリア、日本、ドバイ、オランダ、中国、イギリス、ブラジル、ドイツ(その奥様)からの10人だ。

 

 

翌朝9時、カンヌの赤絨毯があるパレ・デ・フェスイティバルの中にある広い会議室で審査が始まった。
サイモンクックCEOのあいさつとビデオでの審査手順のレクチャーのあと、こんな話をした。
僕の国際賞審査についての信念だ。

"審査を始めるに当たり、ふたつのことを話したい。
まず、なぜ我々がここにいるのだろうか。
審査とは、単に評価したり選んだりするだけじゃない。
我々はクリエイティビティの歴史の教科書を作ってるんだと思う。
世界史の教科書には、アポロ13のような世界ではじめて成し遂げたことやピラミッドのような真似ができない人類の偉業やベートーベン第9のような文化的な頂点やミケランジェロのダビデ像のような人間性の再発見が載っているよね。
クリエイティビティ産業において今年教科書に載せるべき仕事は何だろう。
みんなは編集者、僕は編集長。
次の世代がクリエイティビティを学ぶための教科書をみんなでつくろう。

もうひとつは多様性について。
以前チタニウム部門の現地審査をしているときにアメリカ人の男が早い英語をまくしたてるCMが流れて僕以外の審査員全員が爆笑したんだ。
審査員長が「ケンタロウはどう思う?」と振ってくれたので「そもそもこの人が誰かを知らないんで、僕には何が面白いのかがわかりません」と正直に言ったら、その審査員長が、「みんな、今のは大事な気づきだと思う。この世界は私達が思っているより多様なんだ。自分の国の基準で評価していたら新しいものは見つけられない。」と言ってくれて、それから雰囲気がオープンマインドになったことがある。
ここにはテックやデータやVFXの専門家もいるし、なにより幸いみんなの審査員長は英語ノンネイティブだ。
わからないことがあったら、躊躇せずにわかりませんといって欲しい。
そうすれば誰かがわかりやすく説明してくれるはず。"


そして、審査がスタート。
今日はショートリストを確定しなければならない。
ショートリストは全体の14%にしなければならず、そのためには敗者復活戦も合わせて今のロングリストから20作品を減らさねばならない。
やり方は審査員長の自由だ。

僕の手元には二次審査の点数一覧があったので、サブカテゴリーごとに平均点が5.5点未満(9点満点)の作品を順番に議論して投票していき、それだけでは規定の数に届かなかったので、午後には6点未満の作品を投票していった。

 

 


全員の意見を促し、議論が出尽くしたところを見計らって、YesかNoの投票に移る。
「すいません、僕の画面には投票ボタンがでません。」
と言ったら、審査員長は投票しないよ、と言われてしまった。
同点タイになったときだけ投票するので結果的に権利は行使できているのだけど、せっかく議論したのに投票しないのは気分的にちょっと味気ないものだ。

投票と同じく、議論に対しても、相反する意見が出たり意見を求められたりしない限りファシリテーションに徹した。
審査員だと、いいこと言って貢献しなくちゃとか爪痕残さなくちゃとか思うものだが、審査員長はそこが違う。
どちらかというと、場の雰囲気や審査の公平性をキープするのが大変な仕事だ。

経験上、国際広告賞の審査では、人がしゃべっているのをさえぎってしゃべり出す人や、巧みな英語や声の大きさで論調を支配しようとする人、さらには映画「ジャッジ」に出てくる審査員のようにちょっと政治的な動きをする人や、自分の意見が通らないと感情的になってしまったりネガティブになったりする人がいることもめずらしくない。

しかし今回の10人にはそういう人がひとりもいなかった。
それどころか、みんな僕の方針を尊重してくれて、協力的だ。
これは審査員長にとってこの上なくありがたいことだ。
今まで参加した審査の中でこんなことははじめてかもしれない。

 

 

英語力で言うと、北京から来たKimmyが今回一番心配だったのでネイティブのみんなにゆっくりしゃべってもらえるか心配だったが、現地で雇った通訳を連れてきてくれたのでその心配は不要だった。
次に英語が苦手なブラジルのGeorgeは僕が審査員長でよかったと何度も感謝してくれた。
ふたりともはっとするような新しい視点を注入してくれた。

今回は、全てのロングリストに対して "ひとことサマリー"が言えるように準備してきた。
審査員は「あれ?これってどんなアイディアだったっけ?」と思いつつ恥ずかしくて質問できないまま投票してしまうことが意外とあるからだ。
これは若い頃スパイクスアジアという広告祭の審査員をやったときにイラン人の審査員長がやってくれたことだ。
様々な諸先輩に教わってきたことで今自分は審査員長ができている。

審査員長には明快な基準を決めて自分でも意見をバンバン言って多少強引にでもテキパキ進めていく「リーダーシップ型」と、全員から意見を引き出して新しい視点について議論を促して寄り道しながら合意を作り上げていく「ファシリテーター型」がいるのだが、僕は後者の審査員長なのでいつも仕事が遅い。
特に今回は最初に話した方針が効きまくって、内容が完全にクリアになるまで丁寧に議論をし、この仕事を教科書に載せていいのかについて意見を出し尽くしたため、予想通り、いや予想以上に進行は遅れていった。

審査の進め方について、同じやり方を全作品に貫く公平性を優先するか、時間やショートリストの数を優先するかで、僕と事務局で意見が食い違い、上司の男性がやってきて審査を中断して部屋の外で話し合ったりもした。

みんなに自分の国のお菓子を持ってきてもらったので、それをひとりひとりがプレゼンする時間は楽しかった。
僕は柿山のあられを出した。

 

 

夜の7時を過ぎたころにJury proposal(敗者復活戦)に移った。
一次審査で一定以上の高得点がつけた審査員がいたのにロングリストに入らなかったエントリーの中から、各審査員がひとり一作品だけ、演説をして投票にかけることができる。

リストの中にいいと思った日本からの作品がひとつだけあったので僕はそれを敗者復活にかけた。
"Days of Hirayama "という映画Perfect Daysのインタラクティブな美しいウェブサイトだ。
エントリービデオがなかったので、iPadでウェブサイトを実演して見せたら三分の二の賛成を得ることができた。
iPad持っていってよかった。
応援してくれる審査員が"ヒラヤマ"と発音できず、"ヒラマヤ"と呼んだり"ヒマラヤ"と呼んだりするのが可笑しかった。
ショートリストに上がったのは2作品だけだった。

 

 

こうして9時頃ショートリストが確定した。
朝9時に始めたので12時間だ。

と同時にピザが届いた。
みんなでレストランに行こうと言っていたが、今日はお預け。
無事ショートリスト確定までたどり着いたことには本当に感謝しかない。

 

 

 

しかしこのあと、クタクタになったにも関わらず、ホテルのバーにみんな集結して夜中まで飲んでしまった。

明日はいよいよメダルを決めていく。
次回をアップする頃には結果も出ているので、受賞作についても書いていくつもりだ。

つづく

 

木村健太郎
1992年に博報堂入社後、ストラテジーからクリエイティブ、デジタル、PRまで職種領域を越境したスタイルを確立し、2006年嶋と共同CEOとして博報堂ケトルを設立。マス広告を基軸としたインテグレートキャンペーンから、デジタルやアウトドアを基軸としたイノベーティブなキャンペーンまで共同CEO兼ECDとして幅広いアウトプットを創出する。これまで10のグランプリを含む150を超える国内外の広告賞を受賞し、カンヌライオンズチタニウム部門審査員、アドフェスト審査員長、スパイクスアジア審査員長など30回以上の国際広告賞の審査員経験を持つ。海外での講演も多く、2013年から7回にわたりカンヌライオンズ公式スピーカー。ADWEEKの世界のクリエイティブ100に選ばれる。2017年からケトルに加え、博報堂の海外ビジネスのスタッフ部門を統括する役職を兼任。現在は博報堂のグローバルとクリエイティブの執行役員とインターナショナルチーフクリエイティブオフィサー。コロナ期を除き、年間100日間程度海外を飛び回る生活をしてきた。著書に『ブレイクスルーひらめきはロジックから生まれる』(宣伝会議)がある。
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